東京ガジョピント

日常と非日常のスキマに生息しています

電子書籍な生活を始めるタイミングに迷い

Kindle Paperwhite

これ読んで、迷いが深まった。

moognyk.hateblo.jp

アマゾンの電子書籍端末を買おうかどうかと。だって新しい端末が発表される前には、決まって既存機種の投げ売りセールが盛大に開催されている過去があるから。電子書籍を使って読書をする生活には憧れる。端末は軽いし、電池も長持ちするようだし。でも、この投げ売りセールの波に乗っかるべきなのでしょうか。

迷う。

迷いすぎたり、考えすぎたりするとせっかくのチャンスを逃すことは十分に承知している。5/22までというからあと1週間。タイムリミットまで、自分の欲求と向き合ってみようと思う。

追記

早々に販売を打ち切られていた。がっかり。 悩みすぎは損するんだね。

文字を書くということ

Apuntes

私がこのブログに書き残すことを決めた理由はたった一つ。

それは日常の中で溜まった毒々しいものをすっきり忘れるため。私にとって文字を書くということは、忘れることであり、心を正常化するための儀式みたいなもの。一種の自己主張だけど、別に誰かに認められたいわけでもない。ただただ書き残すことで、一時的に忘れる作業を実現しただけなんです。

でも、ただ気分転換をするわけじゃありません。ウップンを一時的に忘れるけれども、ここに書き残しているのでいつかは省みる時間を作ることができます。己の醜さや未熟さを今一度再確認し、自分自身を磨き直すことを忘れているわけじゃありません。

私にとってブログは、心と思考の整理を効率的に実現するためのツールの一つ。以前は日記のような紙とペンで書き残す作業をしていたけど、これからはデジタル。ちょっとは便利な社会に甘んじてもいいのかなと思ってたりしてる。

文字を書くということは、人生を整理するようなもの。すぐに結果は出なくとも、毎日少しづつ書くことで、スッキリした気持ちの良い人生を歩んでいきたいのです。

植物と関わる仕事をして花に価値を見出せなくなった

f:id:karne_asada:20160514160124j:plain 私は植物が好きです。 でも花への価値観が薄れてしまってます。

あまり詳しくは書きませんが、私は植物と関わる仕事もしています。日常的に植物を見る生活を送っていると、花というか植物に対して金銭的な価値観がなくなってしまうようなのです。

そういえば、5月の第2週に母の日がありました。母の日といえば、カーネーションカーネーションに限らず、日頃の感謝の気持ちを込めて花を贈ろうとする西欧由来の記念日ですね。

日本はバレンタインデーのように商業的な思惑がいっぱい詰まったイベントですが、この期間になるとお店が花でいっぱいに包まれるので、いつもの空間がいつもと違う空間に変わったような気分になります。そして、そんな雰囲気に魅せられるように、日頃、花や植物と関係ないところにいる人たちが一斉に花や植物に近づいてきます。こうしたお店などの場が花で飾られていくのは素敵なことです。

私は植物とかかわる仕事をするようになってから、植物を誰かに贈ることを忘れてしまっています。実は、植物や花にお金を出すことに躊躇してしまっているのです。

花を買って誰かに贈る。

もう、何年も花を自分で買った記憶がありません。最近は、花があまり売れていないと聞いたことがあります。植物に関わる自分としても、こうした業界があるからこそ仕事を得られているのも事実。

近々、自分のお金で花を買ってみようかな。