東京ガジョピント

日常と非日常のスキマに生息しています

やっぱり自分のことを言いたい放題に言える場所が欲しくて仕方ない

もう、タイトルで全てを言い切りました。

実は、TwitterをはじめとしたSNSアカウントもフォロワー数が増えるのはいいんですけど、現実の仲間ができてしまうと言いたいことが言えなくなってしまったのです。最大限の配慮って大切だし、お互いを尊重しなきゃいけないし、なんかもう疲れた。

で、このブログを再開するに至りました。

ブログをそんな風に使うなんて論外だ!なんて、多方面から批判される可能性もありますが、自分のウップン晴らしのための場所が欲しくて仕方ありません。

まずは、一日一つ、この場で憂さ晴らしをしますのでよろしくお願いします。

「学ぶ」とは自ら進んで何かを感じ取り、自分のものとして吸収することである

本の学校教育に対する一つの疑問です。

入学と同時に教師が課題を与え、生徒がそれに答える。学ぶための場というよりも、説明書の内容を伝える機会のような印象です。だいたいが学校の先生も「指導要綱」という教師向けの指南書が用意されており、各課題をクリアせねばならないという使命があるのです。

学校教育を否定したくはないが「学ぶ」という行為のみに関して言えば、やっぱり自ら考えて工夫する力が養われているとは言い難いです。小学校から高校までをこんな教育環境で過ごせば、自ずと受け身の姿勢が研ぎ澄まされ、ある種の優等生にはなるが自ら考え発明していく力は、多くの生徒たちには芽生えもしないでしょう。

ところが大学生になると状況は変わります。

卒業時に論文を書かねばならない。今まで自発的に何かを探してこなかった人が、或る日突然自由に研究をしても胃と言われても、何もできない。身近な事象に対して「気づく」ことができなくなってしまったのです。

自分で考えることの大切さ、学び続ける大人になるためには、これまでの教育に疑問を感じなければならないということを学びました。

はてなブログはアクセスが集まりやすいのか?

解説して数ヶ月で10万ページビューを記録した話をよく目にする。あれは本当なんだろうか、と疑念を抱かざるをえない。10万のアクセスのうち中身のあるアクセスはどの程度あるのだろうか。

今、こうして実践しているけど数ヶ月で10万ページビューを稼げそうな見込みはない。稼げたとしても中身のないアクセスばかりで、きちんとした読者ではないと推測する。